目次
株式譲渡と事業譲渡の基礎知識
定義の違いは以下の通りです。株式譲渡
買い手会社が代金を支払って、売り手会社の株式の全部又は一部を取得する方法を指します。事業譲渡
売り手会社の特定の事業を買い手会社に譲渡し、買い手会社が譲渡対価を支払う方法を指します。株式譲渡と事業譲渡の相違点
対象となる資産等の範囲
株式譲渡では、売り手会社の株式が譲渡の対象となります。そのため、売り手会社の持つ資産や負債も包括的に引き継がれます。また、譲渡後の会社の業績の変動による株価の推移も全て包括的に引き継ぐことになります。 一方で、事業譲渡では、売り手会社の保有している事業の全部又は一部に関連する限りの資産や負債を引き継ぐことになります。そのため、売り手会社の資産や負債を包括的に引き継ぐことはありません。そこで、譲渡対象の範囲については、資産や負債について個別に契約書で明記することが求められます。取引の主体
株式譲渡において、株式は法人であっても個人であっても保有することができるため、主体が法人である場合も個人である場合もあります。 一方で、事業譲渡の場合は、資産や負債を有しているのは法人であり、それを引き受けるのも法人なので、主体は法人に限られます。課税方法
株式譲渡の場合は、消費税は非課税取引に分類されるため、課税されることはありません。もっとも、株式を譲渡した際の譲渡益には、主体が法人であれば法人税が、個人であれば所得税が課されます。 一方で、事業譲渡の場合は、資産を譲渡することになるため、対象の資産について消費税が課されます。また、加えて、譲渡益には株式譲渡と同様に法人税が課されます。| M&Aの形態 | 売り手 | 買い手 | その他 |
| 株式譲渡 | 法人:譲渡益に対して通常の実行税率約30%が課税される 個人:譲渡益に対して、約20%が課税される | 課税関係は生じない (のれんの償却は税務上の損金算入ができない。) | 消費税:課税されない |
| 事業譲渡 | 対象会社で譲渡資産の譲渡益に対して通常の実効税率約30%が課される | 営業権(のれん代)は5年で償却 | 消費税:課税対象資産の対価に対して課税される |
「のれん」の発生の有無
「のれん」とは、「ブランド」「ノウハウ」「顧客価値」など会社の貸借対照表に計上されていない無形の資産のことを指します。 合併対価(新たに発行される株式の価額)が受け入れた純資産(資産ー負債)を上回る場合には、その差額をのれんとして処理します。 日本では現在、20年以内に規制的に償却し、その資産に計上したのれんという資産の減損の兆候(損失発生の可能性)がある場合に一定の方法でテストを行なって、損失に計上するというルールになっています。 株式譲渡の場合は、単体財務諸表上では単なる株式の取得であるため、のれんは計上されず、連結財務諸表の処理の中で計上されます。 一方で、事業譲渡の場合は、承継した事業の純資産価格と譲渡対価の差額がのれんとして計上することになり、数年という償却期間を経て償却され、税務上も損金として扱われます。 のれんの会計処理については、複雑なので以下の具体例を用いて比較しましょう。 株式譲渡のケース:売り手は、対象会社の発行済み株式総数の100%持分(取得価格2億円)を4億円で買い手に売却した。 事業譲渡のケース:対象会社の一部の事業部門(譲渡対象資産の簿価2億円)を4億円で売却した。| M&Aの形態 | 売り手(対象会社の親会社) | 買い手 | 対象会社 |
| 株式譲渡 | 現金400 /子会社株式200 売却益200 | 子会社株式400 /現金400 | 仕訳なし |
| 事業譲渡 | 仕訳なし | 資産200 / 現金400 のれん200 | 現金400 /資産200 売却益200 |
株式譲渡と事業譲渡の選択方法
上記の差異を踏まえて、株式譲渡と事業譲渡のメリットデメリットと共に、どの様な場合にどちらが適切といえるか、説明します。譲渡後のリスク
上記、①対象となる資産等の範囲 で述べたように、株式譲渡は包括承継であるので、計上されていない簿外債務や現在抱えている法的なトラブル等を承継してしまう恐れがあります。 一方で、事業譲渡は個別承継なので、簿外債務やトラブルを承継することはなく、その点で株式譲渡よりもリスクを抑えることができます。 もっとも、株式譲渡を選択するのであっても、デューデリジェンスの実施による簿外債務やトラブルの不存在の確認、それに伴う表明保証の作成によって当該リスクを最小限に抑えることはできます。手続きの円滑さ
株式譲渡の方法による場合は、株式譲渡契約書が最終契約書の役割を果たすので、株式数、譲渡価格などが明確に記載され、可視化することも比較的簡単に行うことができます。 一方で、事業譲渡は個別承継となるので、事業譲渡契約書では、範囲設定にお互いの誤解の内容に明確に行う必要があり、さらに従業員や取引先等について個別に契約を締結することも必要となるので、いくつもの契約が必要となり手続きは煩雑となります。 そのため、株式譲渡に比べて、クロージングまでも時間がかかってしまいます。M&A後の営業の制限
株式譲渡には、譲渡会社の事業に関する譲渡後の制限はありませんが、事業譲渡の場合は、譲渡会社は事業譲渡後20年間は同一の市町村の区域内および隣接する市町村の区域内で、譲渡した事業と同一の事業を行うことができません(会社法21条1項)。 https://laws.e-gov.go.jp/law/417AC0000000086#Mp-Pa_1-Ch_4-At_21許認可の譲渡
株式譲渡の場合は、包括承継であるので、譲渡会社の保有する許認可も一緒に引き継ぐことができます。 しかし、事業譲渡の場合は、あくまでも資産を引き継ぐだけなので、許認可等は引き継がれません。 そのため、人材紹介業や産業廃棄物処理業など、独自の許認可が必要な事業の場合には株式譲渡の方法がおすすめです。売り手会社の存続
株式譲渡で譲渡してしまうと、会社そのものを手放すことになります。 一方で、事業譲渡であれば、事業のみを切り出して譲渡することになるので、会社自体を手放すことはありません。 そのため、譲渡側が企業そのものを手放したくない場合には、事業譲渡を選択するほうが良いでしょう。表明保証と価格調整でリスク回避を図る
株式譲渡・事業譲渡いずれでも、売り手・買い手間で合意した前提事実が将来覆るリスクに備える「表明保証条項」と「価格調整機構(Earn-out/Escrow)」の設計が重要です。
表明保証のポイントとしては、例えば以下のような項目が挙げられます。
・財務:直近3期分の売上・在庫・債権の真実性
・法務:有効な許認可の保有、未決訴訟の開示
・労務:従業員契約の適法性と退職金引当金の妥当性
表明保証違反があった場合、損害賠償請求や契約解除の根拠となります。
例えば、株式譲渡で検討していたものの、デューデリジェンスの結果、簿外負債が大きいため事業譲渡に切り替えて検討を進める選択肢もありますが、許認可が引き継げないというデメリットもあるため、以下のような価格調整を検討する必要性があります。
・アーンアウト:売上・EBITDA等の達成度に応じて譲渡対価を後払い
・エスクロー:クロージング時に一部対価を信託口座などに預託し、一定期間後に解放
これらを組み合わせることで、「クロージング前後の業績変動」や「隠れ債務発覚」にも柔軟に対応することが出来ます。
事業譲渡で重要な従業員対応と移行手順
M&Aの成否は「人」の面で大きく左右されます。特に事業譲渡では全従業員と個別同意を得る必要があります。
具体的には、譲渡対象の従業員を買い手企業に転籍させる場合は、買い手企業と新たに雇用契約を結ぶ必要があり、この場合、従業員からの同意なしに、転籍は強制的に行うことはできません。従業員は、買い手企業の就業規則や労働条件に納得し、新たな雇用契約を結ぶ必要があります.通知タイミングやコミュニケーション設計がカギです。
以下は、その一例です。
通知のベストタイミング:事業譲渡は本契約締結後すぐに社内説明会を開催。
同意取得のステップ:①個別面談②同意書回収③条件面(給与・勤務地変更など)をFAQ資料で事前周知
移行手順:
クロージング前:給与・社会保険の移管準備、雇用契約書のドラフト
クロージング当日:変更後契約書への署名・雇用者台帳の再整備
クロージング後30日以内:処遇変更に関する個別フォロー面談
よくある質問
Q1. 株式譲渡完了までの標準的なスケジュールを教えてください
A.LOI締結後~クロージングまで通常2~3カ月程度を要します。 LOI(1週)→ DD(4~6週)→ 契約交渉・最終合意(2~4週)→ クロージング(1日)Q2. 事業譲渡の譲渡価格は何で評価されますか?
A.事業譲渡では「譲渡対象資産・負債の簿価調整後の純資産価値+のれん」をベースに交渉することとなります。その際、負債の切り分けや在庫評価を個別協議します。Q3. 株式譲渡契約書で必須の表明保証条項を教えてください。
A.① 会社法上の有効設立② 直近3期の財務諸表の真実性③ 主要契約・許認可の有効性④ 未決訴訟・偶発債務の不存在。これらがないと買い手は安心してクロージングできません。Q4. 売却益の税金計算で見落としやすいポイントを教えてください。
A.株式譲渡では「譲渡所得=譲渡対価-取得費」で計算され、オーナーが個人の場合は、分離課税で譲渡所得に対して20.315%の課税がされます。事業譲渡の場合、譲渡益の受領者は法人となるため、当該法人の益金と損金と合算した上で、法人税が課税されます。また、事業譲渡は消費税・印紙税も発生する点注意が必要です。クロージング前に税理士とシミュレーションを必須としましょう。Q5. 事業譲渡で「引き継ぐ資産・負債」をどう定義すべきですか?
A.譲渡対象の資産目録(有形固定資産・在庫・無形資産など)を明確化し、契約書に「資産リスト付表A」「負債リスト付表B」を添付し、譲渡対象/対象外を一つひとつ列挙します。これにより認識齟齬を防ぐことが重要です。まとめ
株式譲渡と事業譲渡には、それぞれ手続き面の簡易さ、税務面、許認可などのメリット・デメリットがあります。また、リスクが全くないM&Aはほとんど存在しません。そのうえで、表明保証やアーンアウト、エスクローなどの契約条項を組み合わせたり、リスクだけ切り離した事業譲渡を行う等、最適なスキーム設計を行うことが成功のカギです。目的とリスクを可視化し、売り手・買い手双方にとって安心・納得できるスキーム選定や最終契約書の作成を行いましょう。執筆者 株式会社M&A共創パートナーズ 片岡翔 東京大学卒業後、楽天グループ株式会社に入社し、中小小売企業へのコンサルティングや新規決済サービスの立ち上げに従事。楽天銀行株式会社に転籍後、数多くの大型ストラクチャードファイナンス案件のアレンジ、法人融資、事業提携等を推進。その後、IT系ベンチャー企業にて、法人向けサービスの責任者として 事業再構築やビルメンテナンス企業の支援。 保有資格:証券アナリスト協会 認定アナリスト 一般社団法人金融財政事情研究会認定 M&Aシニアエキスパート
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